広報なかがわ No.112

広報なかがわ No.112 page 21/22

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21広報なかがわ平成27年月10日1東京大学生岡田辰次郎による唐御所横穴の学術調査新年あけましておめでとうございます。初春とはいえ、これから冬本番、今年も2月から3週間、和見・北向田横穴群の確認調査が国士舘大....

21広報なかがわ平成27年月10日1東京大学生岡田辰次郎による唐御所横穴の学術調査新年あけましておめでとうございます。初春とはいえ、これから冬本番、今年も2月から3週間、和見・北向田横穴群の確認調査が国士舘大学考古学研究室学生約名の協35力で実施されます。当町の文化財保護活動への多くの学生のご尽力には心から感謝を申し上げます。ここでは一人の青年が横穴群を見出した偉業について紹介します。今からちょうど120年前の明治(1895)年1月、28『東京人類学会誌』106号に「下野那須郡ノ横穴」という論文が発表されました。著者は岡田辰次郎(おかだ・たつじろう)、東京帝国大学文科大学(現東京大学文学部)撰科国史科で日本史を学んだ栃木県出身の学生です。同時期に英文学科第3年「○夏目金之助・北海道」として文豪の夏目漱石がおり、「姓名ノ上ニ○印ヲ附スルハ特待生」と学業も優秀であったことがわかります。会誌発行は学生を中心に明治年に結成された17東京人類学会(現日本人類学会)、最高権威の学会として土器石器、動物、人骨、言語、解剖学などの専門家が集い、後に考古学会、民俗学会、民族学会を生み出す母体となりました。論文には唐御所横穴の実測、姫穴・厩穴・遠見穴・小口横穴群のスケッチ、和見・向田・小口・小砂山腹の横穴分布図などが当時の最先端の技術で記載されています。調査の目的は、栃木県が書写した東京府(現東京都)地理誌編さん係の小宮山綏介所蔵資料中に横穴の記載があり、その詳細を現地確認することでした。綏介の祖父、風軒は幕末の水戸彰考館で「大日本史」編さんに年間携わった人物で、水16戸光圀公が領内巡村で訪れた横穴の資料が水戸藩つながりで小宮山家に伝わっていたのです。この岡田青年の論文をきっかけに重要性は国内に広く認識され、昭和9年という古い段階で唐御所横穴が国史跡化されることになりました。この時代わが国は、明治27年の日清、同年の日露開戦37など富国強兵・殖産興業へと邁進していきました。しかし、見失われつつある日本の伝統文化を守るため明治年4月28に奈良、月には京都に帝国10博物館(現国立博物館)が開館される時期でもありました。このような出来事を岩に掘られた横穴は黙して語りませんが、本県でもいち早く文化財の調査保護が一青年により、なされたことを町の歴史に深く刻み込みたいと思っています。生涯学習課課長補眞佐保昌弘(氏名)(父母の名)(住所)「下野那須郡ノ横穴」に掲載された唐御所横穴の実測と姫穴・厩穴・遠見穴・小口横穴群のスケッチ平塚晴琉はる優真衣和見桑原瑠愛るあ友志茜松野児玉宗謙そうけん拓郎香織大那地髙野湊嗣そうし聡晴子谷田吉田聖夜せいや和弘絵美子小川阿久津祈織いのり由也知佳三輪掲載は希望者のみです。月日~月日11211220受付分敬称略()1月1日現在の人口(住民基本台帳)男女計世帯数人(?17)人(?18)人(?35)(?10)9,0238,92417,9476,099()内は前月との比較髙野平()大内91野口康之()大山田下郷55益子ユキ子()大山田下郷80益子クニ()大山田下郷94島田ウメ()小砂86大金幸子()小川75佐藤フミ()小川91小堀スミイ()小川93長谷川龍雄()小川98豊田ヨシノ()吉田98平成27年10月日に国勢調1査が行われます。町では、国勢調査の統計調査員を募集しています。詳しくは下記へお問い合わせください。問い合わせ企画財政課緯0287-92-1114統計調査員を募集します小野里德次()馬頭98檜山次()馬頭57大金かつ子()馬頭90中田カツ子()馬頭71岡ヤイ()馬頭71木村友子()馬頭83池英夫()矢又81藤田孝()北向田75五十嵐誠()松野50髙野子之松()富山90森島昭一郎()谷川87(氏名)(年齢)(住所)