広報なかがわ No.104

広報なかがわ No.104 page 19/20

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19広報なかがわ平成26年月10日5灯りとくらし私たちの生活には欠かせない「あかり」。現在ではLEDなど明るい光が私たちの生活を照らしています。しかし、少し前までは、ろうそくやランプなどの「火」のあかりを使....

19広報なかがわ平成26年月10日5灯りとくらし私たちの生活には欠かせない「あかり」。現在ではLEDなど明るい光が私たちの生活を照らしています。しかし、少し前までは、ろうそくやランプなどの「火」のあかりを使っていました。人間と火との出会いは、約一八〇~八〇万年前といわれ、はっきりとはわかっていません。落雷や自然発火による森林火災から、火を知ることになったと考えられます。火を知ることによって食生活が充実し、人々のくらしに大きな変化をもたらすことになりました。縄文時代の住居跡には、炉ろと呼ばれる場所があります。ここは煮炊きを行うとともに、あかりや暖房として利用されていました。この頃には火を自由に作ることも可能となったと考えられます。発見した火を燃やし続けるため、さまざまな工夫を行い、多くの種類の灯火具(あかりを灯す道具)がうまれました。木やろうそくを燃やしたあかり、植物や動物の油を使ったあかりがありました。江戸時代には、提灯などの持ち歩けるあかりが広まります。使う場所や目的にあわせて、種類や形も変化していきました。明治時代になると、一般家庭には石油ランプが普及し、屋外ではアセチレン灯(カーバイト(炭化カルシウム)に水を加え、アセチレンガスを発生させて火を灯したもの)やガス灯が灯りました。しかし、ガス灯は工事費や維持費が高く、地方では石油ランプを使用した街灯もガス灯と呼んでいたようです。写真は明治末期に見られた馬頭の市街地のガス灯ですが、このガス灯も石油ランプによるものでした。明治十二年(一八七九)に実用的な白熱電球が完成すると、大正時代にはランプやガスに変わって電灯が設置されていきます。小川地区では大正三年(一九一四)、馬頭地区では大正四年(一九一五)に初めて電灯がつきましたが、すぐには普及しませんでした。戦時中は物資不足があったことから、戦後になるまで電気の恩恵を受けられない地域もありました。このように私たちが使っているあかりは、古くからの歴史があり、人々が工夫を凝らし、知恵を絞って考え出した結晶でもあるのです。現在、馬頭郷土資料館では特別展「灯りとくらし」を開催しています。暗やみを照らすあかりの歴史や道具について紹介していますので、ぜひご来館ください。郷土資料学館芸員金子智美ガス灯(明治末期)星ヒロ()馬頭89益子常()馬頭77鈴木正行()馬頭53秋田キミ()健武92酒主七松()和見86田角實()和見80岡崎廣美()小口58藤田絹()小口93岡清()久那瀬74髙野榮()久那瀬90檜山三好()松野74髙野一次()富山81髙野カネ()富山89坂本吉()盛泉95屋代ノブ()大山田下郷83鈴木重徳()小砂82滝童内幸男()白久90関根守()白久90高野麟聖()三輪95小森勇治()三輪88寄贈掲載は希望者のみです。3月日~4月日2120受付分敬称略()5月1日現在の人口(住民基本台帳)男女計世帯数人(?33)人(?25)人(?58)(4)9,1199,03018,1496,115()内は前月との比較(氏名)(年齢)(住所)【4月日受付分まで】20ありがとうございます○町へ万円桜りん会様○20馬頭小学校へ児童用図書5万円相当分髙野弘文様(那須烏山市)○図書館へ図書「前夜」他4冊高野允義様(那須烏山市)図書「三流」他5冊匿名(大山田上郷)図書「教誨師」他1冊匿名(大山田上郷)○福祉基金へ2万7033円益子建築・関東フーズ合同ゴルフコンペ様○社会福祉協議会振興基金へ2万円益子和弘様(健武回)75○社会福祉協議会善意銀行へ8千円匿名(474回)○社会福祉協議会その他の事業費へ1千円匿名