広報なかがわ No.109

広報なかがわ No.109 page 23/24

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23広報なかがわ平成26年10月10日史料からみた小口村温泉温泉は古くから人々に愛されてきました。昔は病気や怪我の治療等の湯治的な利用が主でしたが、近年では健康の維持・増進とともに精神的な充足感を求めるなど、....

23広報なかがわ平成26年10月10日史料からみた小口村温泉温泉は古くから人々に愛されてきました。昔は病気や怪我の治療等の湯治的な利用が主でしたが、近年では健康の維持・増進とともに精神的な充足感を求めるなど、温泉も多目的に利用されることが多くなってきています。那珂川町の温泉の記録は、宝永七年(一七一〇)に小口村の大金重貞が著した「重昭童依調年記」に記されており、「小口村湯」が古くから発見されていたことがわかります。宝永年間(一七一〇~一七一一)には郡奉行の命で水戸藩より金一〇両の融資を受け、温泉場を拡充すると、湯治客も年々増加していきました。ところが延享二年(一七四五)、小口川で大洪水が起き、湯小屋などが流され、大きな被害を受けました。その後、粗末な仮小屋しか建てられず、復興は進みませんでした。小口村温泉の不振を知った郡奉行は温泉の「御取立」を再度命じています。これを受けて、小口村の百姓は、温泉が村に利益をもたらす共有資源であることを意識し、温泉経営・管理の担い手を湯守一人から、百性による「村益」獲得構想が百姓の総意である旨の「口上書」(大金家文書)を宝暦八年(一七五八)に村役人に提出しています。それによれば、庄屋大森左平次は自分の土地に総二階の店を造り、湯治客から「損料」を取って湯治用品を貸出、村の百姓には食糧品を販売させ、日帰り客に対し昼食も出していました。湯治客がもたらす消費需要が増大し、さらに温泉が繁昌すれば薪・野菜を販売したり、「駄賃馬歩夫」に従事したり、働き口が広がり「村潤」が期待できるというねらいがありました。小口村は他領の黒羽・大田原方面の諸商人が馬頭へ行く道筋にあり、小口温泉を利用すれば温泉が繁昌し、江戸から烏山にたばこ・紙の商売で訪れる多くの江戸商人が骨休みに小口温泉で逗留し、三河又河岸から船で下ります。それにより他領に流れていた金銭を水戸藩領内に取り組むことができ、藩の経済が潤うとしています。村の共有資源である温泉は湯治客から湯銭を集めるだけでなく、地域の特産物の生産・流通を活性化し、百姓の稼ぎを拡大しようとする場でもありました。村が所有する温泉からあがる収益も村や村の百性に還元されるもので、村の資源を知恵と工夫で有効に活用し、地域に根差した百姓自身による村つくり、村おこしが推進されました。現在の「村おこし」のさきがけともいえるものだったのです。馬頭郷土資料館館長藤田博雄郡司和治()馬頭84佐藤兼次()馬頭83酒主明行()馬頭60吉成正()馬頭88齋藤毅()馬頭85植竹寿治()馬頭74新野直子()健武77栗田美()健武72田邊洋子()矢又79(氏名)(年齢)(住所)(氏名)(父母の名)(住所)益子芽依香めいか和広明日香馬頭10月1日現在の人口(住民基本台帳)男女計世帯数人(?13)人(?10)人(?23)(2)9,0698,95518,0246,113()内は前月との比較小砂村温泉源泉井ツル()北向田79小口林一()松野60笠井和子()大内81大森汎()大内79鈴木俊一()大那地74堀江喜録()小砂83和泉江子()小川90佐藤秀夫()小川77阿久津信雄()小川79小室敏光()小川59清水マサ子()小川71阿久津キクヱ()小川100山崎ミツヱ()谷田67薄井さだ()白久96穴山八郎()浄法寺94屋代湊みなと幸裕詩織馬頭鈴木結芽夏ゆめか良孝由香里白久佐藤もなみ隆男由美子片平石井紗愛さな和哉佳代高岡和久井流りゅう星せい直樹晴香恩田掲載は希望者のみです。8月日~9月日2120受付分敬称略()