ブックタイトル広報なかがわ No.151

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概要

広報なかがわ No.151

中央の松が生い茂るしゅうかんじま洲乾島を抜けていくかのように帆船が行き交っています。細く伸びる島の付け根には小第151回さな漁村が見え、紫雲たなびく先には大山、ちんざそして富士山が鎮座しています。さて、本図に描かれているのはどこの風景でしょうか。画題から察する方も多いと思いますが、答えは現在の神奈川県横浜市中区(当時は武蔵国横浜村)。私たちが想像する現在の近代的な港の風景とは大きく異なり、本図しゅうかんみなとからはのどかな横浜村と洲乾湊の風景が見て取れます。本来、横浜村は半農半漁業の村であり、農業の合間に獲れた魚を神奈川宿(現神奈川区)や江戸日本橋まで売りに行く漁師もいたようです。本図が制作されたのは安政5年(1858)4月とされています。この「安政」と名の付く元号の時代はまさに幕末の激動期であり、同年6月には日米修好通商条約が結ばれ貿易のために各地に開港する事が決定されました。その内の一つが、横浜港です。翌年の安政6年3月には埋め立てなど工事が始まり、6月に横浜港が完成しました。横浜港完成までの動きを見ると、本図が世に送り出されてから約1年で、描かれた風景から大きく変化したとわかります。さかのぼって安政5年9月、本図を描いた広重は生まれ育った江戸の地で生涯を閉じます。つまり、本図を描いた広重は変わる前の風景を知っていますが、横浜港としての風景は知らずにこの世を去ったのです。激動の幕末期を終え、日本は新たに明治時代へ進みます。諸外国の影響を受け、世の中は大きく変化しました。しかし「歌川広重」という名は広重の死後、二代、三代へと引き継がれてゆきます。彼らも激動の時代を生き、見て、感じ、その変わりゆく風景を浮世絵に描き残しまし企画展「江戸から明治へ」歌川広重「冨士三十六景武蔵野毛横はま」た。明治維新から150年経った今、明治時代も遠い時代になりつつあります。しかし、当時の姿を見て感じる事が出来るのが浮世絵とも言えるのではないでしょうか。本展は初代広重から三代広重までの風景画から、激動の時代で3人の広重は何を見て、何を描き残したかをたどります。馬頭広重美術館学芸員山内れい【会期】4月20日(金)~5月27日(日)【ミュージアムトーク】4月21日(土)午後1時30分~当館学芸員【開館時間】午前9時30分~午後5時(ただし入館は午後4時30分まで)【休館日】月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日【入館料】大人500円(450円)高・大学生300円(270円)※()は20名以上の団体料金※中学生以下は無料※障がい者手帳等をお持ちの方とその付き添い1名は半額「2018JWL北関東インバウンドアワード」銀賞受賞馬頭広重美術館ではインバウンド事業(外国人観光客に向けての活動)が評価され、2月28日に行われた「2018JWL北関東インバウンドアワード」の表彰式で「観光アトラクション施設英語WEBサイト部門」銀賞を受賞しました。No.151平成30年4月10日号●編集/企画財政課?0287-92-1114 Fax0287-92-1316●発行/那珂川町役場/栃木県那須郡那珂川町馬頭555 URL http://www.town.tochigi-nakagawa.lg.jp30