ブックタイトルnakagawa_202008

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概要

nakagawa_202008

21広報なかがわ令和2年8月10日して載っています。店の従業員がたばこ葉を掃除する様子や、葉を刻む様子、お金を支払ってたばこを購入しようとしている人の様子などが生き生きと描かれています。大山田たばこもこのような店で呑まれていたと考えると、江戸のたばこ文化の一端を担っていたのがわかると思います。大山田でのたばこ栽培は、残念ながら現在はかなり少なくなってしまいましたが、できればたばこ農家さんにインタビューをして大山田たばこの現在も書き留めたいと思っています。そして、たばこの次は城について調べようかと考えています。馬頭町史によると、那珂川町の馬頭側で城館跡として確認されているのは山城が5か所、館が3か所なのですが、どうやらその他にも少なくとも4か所の山城跡があるようなのです。準備が整ったら現地を調査したいと考えています。これからの世界の先行きがなかなか見えない状況ですが、那珂川町のすばらしい魅力を伝えられるよう誠心誠意努力して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。みなさま、こんにちは。地域おこし協力隊の癸生川桃子と申します。今年4月からの活動計画は残念ながらコロナ騒動で変更を余儀なくされ、予定していた道の駅での移住イベントなどは繰り延べにすることになりました。その様な中、現在は活動の1つの柱にしていた大山田の郷土を調べて冊子にまとめるという活動に注力しています。まず初めに、大山田の歴史について縄文時代から現代に至るまでを調べているのですが、その中で面白いと思った大山田のたばこ栽培の歴史についてお伝えしたいと思います。那珂川町の(ひいては栃木県の)たばこ栽培は、江戸時代の初頭に健武地区にあった香林寺の住職が上州(群馬県)からたばこの種子を持ち帰り栽培をしたのが初めと言われています。馬頭地区のたばこ栽培は大山田郷が中心となったため、同地区産のたばこは「大山田たばこ」と呼ばれ、広く世の人々に知られるようになりました。1820年に著された「狂歌煙草百首」よると、文化年間(1804~1817)において江戸で消費されたたばこは大山田産が3割弱を占めていて、江戸でのたばこ消費のうち一番多くを担っていました。また、当時の江戸の住民の喫煙率はおそらく97~98%ぐらいであったろうとしています。このことから、大山田たばこは江戸の人に広く知られていただろうことがわかります。また、「春宵一服煙草二抄」という本には、浮世絵師歌川豊国による江戸のたばこ屋が挿絵とうぶごえ(氏名)(父母の名)(住所)髙嶋あかり英行馬頭恵佐原汐しお音ね智馬頭文香和知汰たい青せい雅浩北向田結実濵中ひかり陽平大山田下郷まどか石橋結ゆい斗と嵩広小川晴香江口凰おう介すけ洋介小川美里沼田夏か乃の蒼あ繁一小川ゆき髙橋美み彩さ潤也小川美鈴8月1日現在の人口(住民基本台帳)掲載は希望者のみです。6月21日~7月20日受付分敬称略おくやみ(氏名)(年齢)(住所)髙野曻之助(93)馬頭齋藤貴美子(83)馬頭眞島信也(72)馬頭池田美智子(89)健武佐藤啓輔(98)健武木村平(84)和見秋元ヤス(94)北向田大金博子(91)北向田小川ケイ(91)松野村井達也(45)小川川上典夫(89)小川髙野ヒデ(91)谷田小林三郎(95)三輪▲たばこ畑▲たばこ畑▲元香林寺(現別雷神社)は別名煙草元香林寺(現別雷神社)は別名煙草神社と呼ばれています神社と呼ばれています男8,013人(-11)女7,811人(3)計15,824人(-8)世帯数6,028(2)()内は前月との比較那珂よし健康ポイント対象事業献血にご協力お願いします日時9月11日(金)午後1時~4時場所役場