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【史跡のご案内】・・・小川

那須官衙遺跡(昭和51年国指定史跡)

田園風景の中に忽然と遺跡が存在する古代の郡役所跡といわれる国指定史跡である
「那須官衙遺跡」からは、多くの掘立柱建物遺跡や礎石建物跡がみつかり、硯の破片や
墨書土器などの出土品も発見されています。

駒形大塚古墳(昭和54年国指定史跡)

関東地方でもっとも早い時期に造られたとされる前方後方墳です。
発掘調査が行われた昭和49年には後方部墳項で埋葬施設が確認されています。
内部からは鏡をはじめとした副葬品や木棺の埋土のほか、多くの土師器も出土
されています。

神田城跡

城の形が方形で短郭であることから城の歴史は古いとされ、国指定史跡となっています。
築城の年代は天喜4年(1056年)、長治2年(1105年)など諸説があるという。
須藤権守貞信が築城したといわれ、屋島の戦いで名を高めた那須与一宗隆はこの神田城で
生まれたとも言われている。
今は土塁と深い堀が残っています。

那須八幡塚古墳(昭和36年県指定史跡)

4世紀に造られた前方後方墳で前兆60.5mをはかる。
墳丘には、川原石による葺石が認められる。

富士山古墳(昭和28年県指定史跡)

県内で数少ない方墳の一つであり、古墳時代から歴史時代の初期にかかる古代那須国の特異な政治圏の中にあり、
東日本では極めて数少ない4世紀後半の古墳である。

首長原古墳

古墳時代後期(約1450年前)に造られた古墳、横穴式石室内からは銅釧、耳環、鉄鏃、勾玉、管玉、切子玉、ガラス玉が出土した。

恩田御霊神社

那須与一が山城国伏見(京都)の即成院において急死したので、共人角田四郎が分骨して帰り、兄五郎之隆が恩田に社殿を
造ってと祀ったのが始まりとされる。
元禄6年(1693年)烏山藩主永井伊賀守直敬が、与一の勇名をたたえて文を刻んだ香炉を奉納している。

大日堂

那須氏の祖須藤権守貞信が勅命を受け八溝山の怪賊岩獄丸を討伐した功により那須の国を給って神田城を築き、乾の鎮として
大日堂を建立したという説と、討伐の際加護を祈った大日如来に感謝して建立したという説がある。

常円寺

後白河天皇の勅願所で後は鳥羽天皇建久元年(1190年)に勅願を賜られたが、開基の年代は不詳である。
文治4戌申年(1188年)秋9月、那須与一宗隆公が亡父資隆公の法号「仏光洞照」の位牌を立て、菩提を戸弔った。
また、この寺には那須与一宗隆公「月山洞明大居士」の位牌が安置されている。

三和神社

建立は不詳であるが延喜式内社下野12社の一つで、推古天皇甲子12年大和国三輪山大神神社の観請真遷座と伝えられている。
社殿の修築は甲子歳毎に行われたようで、天養元年、須藤権守貞信が再建以来代々那須家が修理を行っていたが、大正18年
那須資晴が烏山城地を没収されてからは氏子が修造した。

長泉寺

三重塔がある花の寺

光照寺

八溝七福神 弁財天が祀られている

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