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那珂川町の概要

 平成17年(2005年)10月1日に那須郡馬頭町と同郡小川町が合併し、那珂川町が誕生しました。

 那珂川町は栃木県の東北東に位置し、北部は大田原市、南部は那須烏山市、西部はさくら市、東部は茨城県大子町、常陸大宮市と隣接しています。東西約22.0km、南北約18.9kmと東西に長く、総面積は192.78㎢で、県全体の3%を占めています。

 地形は八溝山から南西方向に連なる山地が大半を占め、高倉山を中心とする丘陵地帯、鷲子山の北西斜面の丘陵地帯、さくら市から続く西部の喜連川丘陵地帯、那珂川沿いに広がる平坦地帯などで構成されています。中心部には関東の四万十川と言われる清流那珂川が南流し、その右岸には流れに沿って比較的平坦な沃野が開け、河岸段丘上に市街地が形成され丘陵地に集落が点在しています。一方、左岸は武茂川が貫流し、山間地の小河川沿いに集落が点在しており、その下流に市街地が形成されています。

 気候は典型的な内陸性気候であり、寒暖の差はあるものの年間を通して生活しやすい環境にあります。
 道路は本町を横断する国道293号、小川地区を縦断する国道294号、東部の国道461号の3路線が近隣市町間及び他県と結ぶ幹線となっています。

旧町のおいたち

旧馬頭町

 旧馬頭町は栃木県北東部に位置し、茨城県と隣接する馬頭町は、昭和29年7月1日、1町3村が合併して誕生しました。
古代から開け、町には多くの文化財が点在します。また、奈良・平安時代には大量の砂金が採取され、国内最古の産金地として知られています。中世は徳川御三家の水戸藩の支配地となり、光圀をはじめとする歴代藩主の奨励により葉たばこ、小砂焼等の特産品が作られるなど独自の文化が形成されました。
 近年は、馬頭温泉、道の駅ばとう、広重美術館などの豊富な観光資源を生かして、町を活性化させたり、総合福祉センターを中心とした福祉事業の展開、情報化・国際化への対応等「活力に満ちた魅力あふれる潤いのある町づくり」を進めていました。

旧小川町

 旧小川町は、東に那珂川、八溝山系、西は喜連川丘陵に囲まれています。肥沃で平坦な地形には、東日本最古の駒形大塚古墳をはじめとする数多くの古墳群、奈良から平安時代、那須郡を統治した役所跡、那須官衙跡、那須の与一誕生を伝える那須神田城跡など多くの史跡があります。
 明治22年市町村制の施行、昭和13年7月1日町制施行、その後も合併や編入をし現在に至っています。
 平成17年度を目標年次とした第2次小川新長期総合計画「まほろばの里21プラン」では「まごころの通いあう地域づくり」「ほこりを育てる地域づくり」「ロマンの薫る地域づくり」「バランスのとれた地域づくり」を基本目標に掲げ、生活環境・教育・福祉の充実を重点に、活力ある町づくりを目指していました。

位置

 那珂川町は栃木県の東北東に位置し、北部は大田原市、南部は那須烏山市、西部はさくら市、東部は茨城県大子町
常陸大宮市と隣接しています。東西約22km、南北18.9kmと東西に長く、総面積は192.78㎢で、県全体の3%を占めています。

気候

 気候は、典型的な内陸型の気候であり、年間平均気温は、13℃前後で寒暖の差はあるものの年間を通じて比較的温暖
な生活しやすい環境となっています。
 年間降水量は約1,300mm、初雪は12月下旬、終雪は3月上旬で積雪は年間5日前後となっています。

人口

 本町の人口は、昭和22年のピーク時には31,729人でしたが,昭和30年代からの高度経済成長期の若年労働人口の流出により約20年後の昭和45年には、24,138人となり23,9%の人口減少となりました。
 近年の人口の推移は穏やかな下降状態であり、人口に占める高齢者比率の上昇、若年者比率の低下は著しく少子高齢化が進行しています。
 平成27年の国勢調査人口は、16,964人(男:8,526人、女:8,438人)世帯数は5,831戸となっています。(平成27年10月1日現在)
【関連するページ】人口と世帯

参考資料

那珂川町のすがたPDFファイル(870KB)

那珂川町合併10周年記念誌PDFファイル(4150KB)

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